歴史の分かり方が分からない

あー歴史ってなんだか苦手なんだけど、「いまここ」の世界がどういった経路をたどってきたかどうかある程度知っておかないと教養がない人間みたいで恥ずかしいし、常識として基本的なことは知っておかねばなるまい、といった気持ちから『20世紀のグローバル・ヒストリー:大人のための現代史入門』を読んだ。読んだ結果、ふわっと分かったような気もしつつ、数日経過すると読んだ内容を忘れてしまって結局なんだっけかな、という状態になってしまう。あとはタイトルのとおり。

別に歴史なんて知らなくても生きていけるんじゃね?と考える自分もいなくはないものの

  • 分かったら面白く思えてくるのではないか
  • 戦争をしてみるとか、現在で実験をする訳にはいかないので、過去の出来事から教訓を抽出することができる
  • これから100年間に起こること全部を知ることはできないけれど、(マクロなスケールで)これまでの数千年の歴史を知ることはできる

ということもあって、なんかロマンみたいなものを感じるには感じるので、分かることができるなら分かってみたいと思いはする。

あと、『20世紀のグローバル・ヒストリー:大人のための現代史入門』の296pに出てきた、西ドイツ大統領のヴァイツゼッカーによる演説の

過去に目を閉ざすものは、現在も見えなくなるのです。

を読んで、なんかドキッとしてしまった。

世界史の授業をただ受けていただけの高校生のころとは違って、一応立派な大人でもあるので、じゃあ歴史が大変苦手である自分がどうすれば「歴史が分かった」と思えるようになるのか、少し考えてみる。

なぜ分からないか

基準となるものがない

西暦で語られたときに、それが大体いつぐらいの出来事なのか、数字として理解できるものの、その時点をどの時点から眺めたら良いかが分からない。新しく何かの出来事を知ったときに、その出来事を関連づける先がそもそもないので、その時点では「ふーん」と思ったとしても、ほかの出来事に関連づいていないため、すぐ忘れてしまう。

上記の問題は空間的にも同様である。国の名前が複数出てきたときに、それがどれくらい物理的に離れていて、なおかつその時代の交通手段においてどのくらい距離を感じるものなのか理解できない。

人の名前を覚えられない

人の名前を覚えるのはかなり得意な方なのだけど、歴史となるとこれがトンとだめになる。自分が人の名前を覚える際には、顔、全体のサイズ感、動き、声など、自分がその人と直接関わった際に得られる情報に紐づけて覚えているっぽい。特に、陸上部だったこともあってか、歩き方で覚えている節があるので、遠目でも人を認識できたりする。小説を読んでいるときに登場人物の名前をすぐに覚えられるかと言われれるとそんなことはないので、やはり生で得た情報を使っていると思われる。

当然、歴史において登場する人たちは、顔写真はないし、目の前で歩いてくれることは絶対にない。メジャーどころであれば、絵などで顔が載っているもののあるものの、顔だけでは情報が少ない。

え、なんでそんなこと分かるの?という疑問が押し寄せる

本に書いていることが、およそ確からしい歴史的な事実として確立されるには、どういったプロセスを経ているのか気になってしまう。それって当時の新聞とかに書いてあったの?それって残っているの?というか新聞ってそのときあったの?壁画?・・・おそらくはあらゆる古文書などをひたすらに解読していった努力の上に成り立つ記述なのだろうが、そんなことどうやって分かるんだよ、と勘繰ってしまう自分がいる。

歴史を分かるためにどうしたらよいだろうか

基準となる軸をどうにかして作る

山川の教科書を何回も読んだり、一問一答や用語集を繰り返し読んだりすれば、ここの出来事をどうにか記憶に留めて、かつほかの出来事と関連づけるというところまで辿りつけるのだろうが、わがままな大人に育ってしまった以上、そこまでの忍耐はなさそうである。とりあえず、自分の興味を引くものから

興味のあるものの歴史を読んでみるのはどうか。「〇〇の歴史」という本は、結構な数が出版されているので、こういったトピックが限定された歴史から取り掛かるのはどうだろうか。有名どころであれば『砂糖の世界史』がある。当たり前のように自分の本棚にも眠っていた。ある種、「砂糖」を軸にした歴史を読むことで、「砂糖」との関連から見たさまざまな出来事や、「砂糖」の変化、要はいつから作られ始めて作り方がどう変わっていっていつどこへ広まったのか、によって時間軸においても迷子にならずに済むのではなかろうか。

とりあえず、「〇〇の歴史」やそれっぽい本をAmazonで調べて欲しいものリストを作成してみたところ、20冊以上あったので、面白そうなものから読んでみようかと思う。まずは食べものから攻めるのが面白そう。砂糖、珈琲、茶、チョコレート、ミルク、ジャガイモ、トウガラシ、ワインなどが見つかった。これだけでも結構な分量になる。

ほかにも、文字情報以外の情報を得ることによって、記憶のとっかかりを得るという方法もあるかもしれない。国語の資料集なんかをぼけーっと眺めているのは割と好きだった。教科書などで採用されている世界史の資料集は、凄まじい情報量であるにもかかわらず、とても安い。本屋で見繕ってみて、買ってみたい。

人を顔で覚える

聖徳太子の顔は、資料かなんかが残っているからなのだろうか、教科書にも載っていたように思うし、記憶に残っている。記憶へのとっかかりになるのであれば、正確な顔である必要はなく、人の名前と顔が結びついていればよいのではないか。そこで手段になりそうなのが、「歴史学習まんが」ではないだろうか。調べてみるといくつかの出版社から出ているようで、なおかつ各々が特色を出して競争しているよう。ざっと見た限りでは角川のが一番良さそうではあったが、絵柄や髪質の好みなどもあるので、実際に現物を見てみたい。

歴史(の記述)がどう作られるのかを勉強してみる

歴史の記述の作り方ってこうしているんですよ、という話は、それはそれで面白そうではある。学問として歴史がどのように構築されているのか・すべきなのかという視点は、歴史を分かる上で、知っておいて損はないのではないか。

大学院時代にたまたま手に取って途中まで読んだ『史学概論』は、書いている人間の知性の高さがほとばしっている本だったと記憶している。それでいて素人にも読みやすいときたものだから、ありがたい。この本に限らず歴史学の書籍を手に取ってみるというのも一つの手段かもしれない。

そもそも歴史が分かったって何?

というか、歴史以外の物事の分かり方が分かっているかというと、まるでそんなことはない。物理学の理論であれば、流石に分かり方も含め分かる気がするものの、実験とかが絡んでくると自分の分かり方が「正しい」のか分からなくなってくる。そもそも分かり方の「正しさ」はどう定義するのだろうか。

こうして細かいことを考えだすとキリがない。とりあえず、「いつどこで誰が何をしたのか出来事と、その出来事が何に影響を受けたもので、何に影響を与えたのか、それらの出来事が影響を与え合えあうものが時間・空間的に連綿と続いているものの体系を把握していること」を自分が目指しているところの「歴史が分かる」という状態としてしまうことにしよう。

この先どうするか

とりあえず、

  • 月1冊くらい、個別の「〇〇の歴史」といった本を読む。まずは、食べ物から攻めてみる。
  • 資料集は本屋で買ってこよう。すぐに手に取れるところにおいて、パラパラと眺めたい。
  • 歴史学習まんがは現状置き場所がないため買うことができない。夏には本棚が拡張される予定なので、そのあとまだ欲しいと思っていたら買うことにする。

といったところから始めてみたい。

史学概論

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